生きるということ死ぬということ

5月の半ばに、書いて数日で削除したnoteがありました。

その後、後で見ようと思ってたら削除されてて読めなかった、という声をいくつかもらったのと、関連する出来事があったのでここにUPすることにしました。

以下noteからそのまま転載しています。

noteに書いていたこと

思うことがあり突発的に書きました。
このツイートに書いたメンタル死亡した出来事についてです。

重い内容になっています。

死に関わることなのでそこに敏感な方は読むのをお控え下さい。

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三月末に甥っ子が自殺してしまいました。
まだ十代半ばでした。

わたしには姉が二人いて下の姉の子供です。
姉はシングルマザーで、必死で働いて二人の子供を育てていました。
上のお姉ちゃんは県外に就職したので甥っ子と二人で暮らしていました。

甥っ子は高校受験失敗を機に変わってしまったようでした。
学校にも行かなくなり家に引きこもるように…
元々大人しい子で人付き合いは苦手な方でした。

子供の頃から姉にべったりで、話しかけると後ろに隠れるような子でした。
でもスポーツが好きで部活にも入って友達に囲まれて楽しそうにしてた。

じゃあなんで?

わたしと姉とは十歳以上離れてて、普通ならわたしが相談する方だけどうちは反対でいつも姉が相談してきてました。

上の姉と下の姉は他人です。
複雑な家族関係なので。

姉たちは仲が悪いわけじゃなくてうちに来て集まった時は普通に話すけど、たぶん電話もメール、LINEも全くしない。

全部わたしを通じて会話するような感じでした。

わたしが物心ついた時からなんか変な感じがしてた。
というかうちの中がツーンとした空気で変な感じでした。
高校生の時にこの家族関係を知らされたけど、なるほどって思った。

家族全員と血が繋がってるのはわたしだけです。

話が逸れてしまった…

それでいつもわたしに相談してきてたけど。
甥っ子は思春期になりいろいろ考えるようになるにつれて悩んでいたようです。
将来のこと。
頭の良い子でした。成績は良くて勉強するのも好き。
テストで良い点を取って先生や姉に褒めてもらう、その為に頑張ってたのが大きくなるにつれて頑張る理由が見えなくなったみたいでした。

何になりたいっていう将来の夢がなかったんです。
小さい時はプロ野球選手になりたい、という『夢』

高校受験が見えるようになると、その先の大学、就職を考えるようになり…
周りの子は消防士になりたい、エンジニアになりたい、など現実的な職業を挙げる中で自分にはそういうものがない。

やりたいことがないのなら、と姉はある職業を勧めました。
国家資格があれば職に困らないし、甥っ子の性格に合うだろう、って。
甥っ子はそのレールに乗ろうとしました。
高校もそれを踏まえて選択。

高校に受かる為に必死で勉強しました。
その頃から敏感になってきたみたいで、眠れないとか言うようになったと姉から聞いてメンタル弱い?って感じてきました。
部活の引退、というのもあったみたいです。
友達と一緒にいることが少なくなり考える時間が多くなったからかな?

うちにもあまり来なくなりました。
わたしは実家で親と住んでるので、姉からしたらうちは実家です。

受験のことなどを聞かれたくないから来なくなったんだと思います。

そして受験に失敗してしまい、滑り止めで受けた学校に行くことに…
姉はいつも悩んでいました。
しっかり者で姉をいろんな面で助けていたお姉ちゃんは県外に行ってしまい、その寂しさもあったと思います。

甥っ子は数ヶ月で学校に行かなくなり…
なんとなくそうなる気がしていました。
姉もそう言ってた。
でもすぐにバイトを始めて自分なりにいろいろ考えてるんだな、って思ってた。
母子家庭だから働かないと、って思ったのかもです。

なにか目標になるものが見つかればいいね、いつも姉と言ってたことです。
バイトでもしてれば自分に合うもの、したいものが見つかるかもしれない…

そのバイトも長くは続きませんでした。
この頃から姉から相談されることも少なくなり…
状況は悪くなる一方で、姉も話したくなかったのかもしれません。

わたしはバイトに行くようになっていい方向に向かってるのかなって思ってた。
後で聞くとバイト行っては辞めて、を繰り返してたらしいです。
そして家からあまり出なくなり引きこもりがちに…

年末に姉に会った時に、
『お正月に○(甥っ子)が来てもバイトのことは聞かないでね。辞めてうちに引きこもってる。精神的にしんどいみたいで心療内科にも連れて行った。』
と言われて驚きました。

でもそれを聞いても思春期だし受験失敗したことでショックだったんかな、そのうちなんとかなるだろう、くらいにしか思わなかった。

お正月には姉達が子供を連れて集まるのが恒例でした。
ご飯を作るのはわたしです。

おせち料理はほんの少し買ってきて、後は子供達が好きなものを作る感じにしてて。
寒いし前の年はおでんだったから、今度はお鍋中心にしようってことになりました。
スーパーに買い物に行き、なんのお鍋にしようか考えてたら思い出したんです。
何年か前に姉が甥っ子は醤油味のお鍋、寄せ鍋が好きなんよね、って言ってたこと。
甥っ子は好き嫌いが多い子で、母(甥っ子からみて祖母)にいつも出されたものを食べなさい、って言われてました。

甥っ子の好きな寄せ鍋にしよう!
なぜかそう思いました。

みんなが集まる日。
少し心配したけど甥っ子は来てくれました。

『○くんが醤油味が好きって聞いてたからそうしたよー。』
って言ったらニッコリしてた。
ご飯もお代わりしてました。

他のいとこ達が騒いでるのを見てニコニコしてた。
今でもあの時の笑った顔が忘れられない。

この時に会ったのが最後になりました。


そしてあの日、わたしはある用事があり県外に行っていました。
父が寝たきり状態で介護が必要で、その少し前に骨にヒビが入ってその時には母ひとりでは見れない状態でした。
わたしがいない間は、姉達が順番に泊まりに来てくれることになってて、前々日と前日は下の姉が泊まって、その日は上の姉が泊まる日でした。
上の姉も子供の用事で県外に行ってて夜遅くに帰ってくるから、そのままうちに来てくれることになってました。
上の姉がお土産を渡すから自分が行くまで待ってて、って下の姉に言ってたみたいでした。

下の姉から父の様子や買い物に行って買ってきたものなど、夕方LINEがきてました。
上の姉が来たら交代で帰るね、って。

そして22時頃。
ホテルでまったりしてたら上の姉から電話が。
なんでもLINEで言ってくるのに、電話って父になにかあったのかな…
嫌な予感がしました。

『もしもし、もしもし』
息遣いが荒くて声がおかしかった。

『今○ちゃん(下の姉)から電話があってね。○くんが自殺したって。』

え…

『え?未遂?』

『救急車呼んだけど間に合わないって。もうダメだって言うてる。とにかく旦那と行ってみるからまた連絡する。』
って切りました。

この瞬間全部止まった。
思考も何もかも。
そして心臓の動悸が激しくなって動けなくなりました。
以前に出したnoteにも書いたし一部の人は知ってるけど、わたしは心臓に疾患があります。
なので普段から脈が早くて動悸がすることが多い。

この時には今までないほど動悸がして三時間くらい動けずにいました。
とにかく怖かった。

これもnoteに書いたけどわたしには子供がいます。
シングルマザーです。
この時県外に行ったのも子供の用事でした。

電話がかかってきた時に子供が一緒にいてわたしの様子を見てめっちゃ心配してた。
でも子供がいたからなんとか保てたと思います。

その後上の姉からLINEがきて、下の姉の家に着いたこと、甥っ子は亡くなったこと、警察がきて事情を聞かれてることなど聞きました。

え…やっぱり未遂じゃなかった。
ダメだった。
でも泣くにも泣けません。
子供が一緒にいるから。

なんで
なんで
なんで

そればっか考えた。

こんな簡単に死ぬって…
1分、1秒前まで生きてたのに、さっきまで生きてたのに
そんな一瞬で死んでしまうとか…


もうひとつ不思議だったこと。
下の姉が上の姉に電話したこと。
電話番号知ってたんだ、って思いました。

こんなことで姉同士が繋がる…

夜中に葬儀の場所が決まったことや両親にはこの事は言わない、というLINEがきました。
朝方には下の姉から、心配かけてごめん、急いで帰って来なくていいから、って。

次の日には帰る予定だったけど、飛行機の時間を早めることが出来ず予定通り夕方に帰りました。

お通夜、葬儀の日程も決まり
すぐに駆け付けたかったけど、父のこともあるのでその日は上の姉に任せて次の日に一緒に行くことにしました。

翌日向かう車の中で、詳しいことを聞きました。
精神的に不安定になって死にたいって言ったこともあった、ってこと。
1日目は姉と一緒にうちに泊まりに来てたこと。
次の日は大丈夫だから家にいるって一緒に来なかったこと。
○くんが眠ってるような綺麗な顔してたってこと。

会館に着いて部屋に入ったら○くんは布団に寝てた。
棺かと思ったら白い布団に寝かされていました。

顔見てしまうとその顔がずっと頭に残ってしまうから、顔見ることなんかできない、見ないようにしようって思ってたけど、すぐそこにいて不意打ちで目に入ってきた。本当に寝てるみたいだった。
お正月に会った時となんも変わってなかった。

一気に亡くなったことが現実になりました。

生きてるように見えるやん…
でもお口を湿らせてあげて下さい、って綿棒みたいなものを渡されて、それをお水に付けて口に塗った時
その感触が…

一気に涙が出てきました。
本当に○くんは死んだ。
それまではずっと我慢してた。
子供がいるし親にも言えないから普通にしてないといけない。
この一心で我慢してました。

姉が離婚することになった時、甥っ子は1歳だったかな。
いきなり子供連れて実家に帰ってきました。
わたしはその時実家にいたので、1年ほど一緒に住んでたんです。

その時のことも思い出してました。
よく泣く子だったな…
チョコレートのアポロ?あれ好きだったな…
とか。

あと、最後に会ったお正月。
うちの子供にバイト代もらってるから、ってお年玉くれたんです。
1000円入ってました。
その時にはバイトしてなかったのに…

お姉ちゃんや他のいとこ達がしてた事、自分もしようと思ったみたい。
思い出して胸が痛くなった。

とにかくいろんなことを思い出してました。涙が止まらなかった。

そしてやっと下の姉に会えました。
思ったより落ち着いてました。お姉ちゃんが帰ってきてたし、いろいろな打ち合わせで会館の担当の人が何回も来たりしてたから。

三人でお通夜や葬儀のことについて話しました。
あと親には話さない。
これは三人が一致した意見。

父は痛みと寝たきりになったショックで、『こんなんじゃ生きてても仕方ない。』って泣きながら言うような状態だったし、そんな父を見てる母も心身ともに参ってました。
そこに孫が…
なんて言えない。

私たち三人でお葬式をしよう。

親戚、知り合い、友達にも知らせない。

そして上の姉の旦那さんや子供、たった六人で見送ることに。
六人しかいないお葬式。

その分時間の余裕があったのか、最後のお別れの時間はたくさん取ってくれました。
みんなで棺を囲みました。
飾ってたお花をみんなで棺に入れていきました。

姉はずっと髪の毛や顔を撫でながら
『ごめんね…』
って声を出して泣いてた。

お姉ちゃんはずっと手を組んでるところをさすってました。

棺にはお気に入りのものがいっぱい入ってました。

みんな泣きながらお花を入れました。
棺はお花でいっぱいになりました。
胸のところに、赤ちゃんの時にお姉ちゃんと写ってる写真が置いてありました。
うちで一緒に住んでた時のものです。

この光景なに?
なんで○くん棺に入ってるん
なんで○くんのお葬式なんかやってるん
悲しいのと、この状況が意味わからなくてとにかく泣いた。

こんな涙が出るんだってほど泣きました。
生きてるように見えるよ?
本当に死んでるん?
って。

わたしはそこにいる甥っ子の顔を覚えてるのは辛かったので、胸に置いてた赤ちゃんの時の写真をずっと見てた。
この写真の赤ちゃんの時の笑ってる顔を覚えていたいって思ったんです。

そして葬儀が終わり火葬場へ。
4人で骨を拾いました。
姉が分骨を希望したので小さい骨壺にも入れてた。
手元にずっと置いておきたいよね…

火葬場は山の中にあって桜が満開でした。
上の姉が、『これからは桜の時期になると○くんを思い出すね。』って。

そこから辛い日々が続きました。
夜寝れなくなった。

普通に過ごしてたら感じることもないけど、死はすぐそこにある。今回のことですごく思いました。

なんでそこまで追い詰められたのか。

ニュースやネットなどで自殺のことを聞くと、死んだらおしまい、死ぬ勇気があるんならなんでもできるやん、辛いものがあるんならそれから逃げればいいやん、って思ってた。

姉からいろんな話を聞いて、想像以上に辛い状態だったのがわかりました。
自殺志願者の集まるサイトも見てたようです。
眠れないって睡眠導入剤を心療内科でもらってたけど、なぜか飲もうとしなかった、って。

死にたい、というよりは
生きてるのが辛かったのかな…

姉が言った、『○はこれで楽になったんよ。たぶんそうだと思う。』

わからないよね?

楽しいことがない
したいことがない
欲しいものがない
今、を過ごしてるのが辛い
この辛さ
わたしもわからない

でもなんで生きてるのか、って考えたら
見えてくるような気がする。

わたしは子供のために生きてます。
早く結婚して子供産んで離婚して…
20代前半なんかほぼ記憶がない。
1番楽しい時期に遊ぶこともできなかった。

やっと子供が手が掛からなくなったと思った時に続けて大きい病気をして。
最初のは手術で完治したけど、後で見つかった心臓の方は一進一退。

働けなくなったら、死んでしまったら、ってことしか考えてない。
そのためのトレードです。
子供に不自由させないためにお金貯めることしか考えてない。

生きるのってなんでこんなにしんどいのかな、って思ったこと何回もあるけど子供のために生きてます。

病気発覚した時、死についてすごく考えました。
いつかは死ぬんだから、死ぬこと自体はそんなに怖くない。
でも子供をおいて死ぬのが怖い、そう思った。
大事なものがあるから死ねない、生きてる。

これツイートしたことあるような気がするし、noteにも書いたけど。
大事なものはいくつもあった方がいい。
家族
趣味
仕事
友達
ネット

どれかがダメになった時に逃げ場があるから。
ひとつだとそれがダメになった時全てが終わり、って思ってしまう。

この世界にいて思うこと。
お金持ってる人、桁違いの利益上げてる人いっぱいいて、夢のある世界。
でも稼ぐのも一瞬、なくすのも一瞬。

Twitter、ネットの中で生きてると繋がりができた人と一緒にいるみたいな感覚になる。
1年後は?
5年後は?
10年後は?

Twitterまだある?

今しかできないことってあるから。

リアルとネットは別物。
わたしはこの世界にすごく救われてます。
リアルが辛い時に逃げてこれる。

あの日以降、ずっとリビングでワンコと寝てました。
GWくらいからかな、やっと2階で寝れるようになったのは。
電気もテレビも点けて、YouTubeやツイキャスを誰かがやってたら聞いて…
自然に眠るのを待つ。
目を閉じるとワーっと、辛いことが浮かんできて、いろんなことが思い出されてざわざわが止まらなくなって目が閉じれなかった。

そんな時に助けられたのがこの世界、トレードでした。
トレードを始めて友達がいっぱいできました。
なので夜中までディスコやVCやDMで話したり。

辛いことを忘れられる時間があって本当に救われました。

彼氏にも話せてません。
コロナのことでずっと会えてないので。
1番仲の良い友達には言いました。
ある日不在着信入ってて、かけ直したら
『お父さんの調子どう?全然連絡ないから心配になってかけたよ。あんた生きてる?体調は?変わったことないの?』って聞かれたから…

思わず言ってしまった。
号泣されました。
彼女もシングルマザーで息子さんがいます。
問題児で子育てに苦労してます。
泣きながら、『そやからね、どんな子供でも生きてるだけでいいんよ。死なれたらどうしようもないやん…』って言ってました。

子供に死なれるほど辛いことはないです。

日曜日は四十九日の法要でした。
姉と三人。
甥っ子のことで三人のLINEグループができました。
バラバラだった姉妹が繋がりました。不思議な感じです。

白い布に包まれたお骨と遺影を見てまた現実に引き戻され…
やっぱ亡くなったんやな…って。
少しずつ遠いことのように思えてきてたのに、また辛くなってきました。

なんで?
って
これずっと消えそうにないです。

お葬式の時に言われた言葉。
『これから修行をして神様になられます。御霊様になってお母さんや皆さんを守ってくれる神様になる。お願いをされたら嫌でもしようかな、って思うでしょう?だから皆さんでお願いするのです。御霊様になって守って下さい、って。』

上の姉の子、姪っ子もネットで死後のことを調べた、って言ったそうです。
『死んだら守護霊になるんだって、○くん天国に行けるよね?大丈夫よね?』
って。

お葬式が終わってからずっとお願いしてました。
お母さんとお姉ちゃんを守ってあげて
ついでにわたしらも、って。笑

日曜日からまたいろんなこと思い出して辛くなってたけど
もうやめよう。

区切りをつけたくてこれを書きました。
なにを伝えたいのか自分でもよくわからないけど、生きるって大変。
当たり前のように生きてるけど。
でも生きていかないといけないから。

誰かのために
何かのために
自分のために

これでいいと思う。

コロナでこれから大変なことがいっぱい出てくると思うし、みんな乗り越えていかないといけないことがそれぞれに出てくるはず。

わたしもこの出来事、まだ乗り越えれてないけど。
なんとなく過ごしてた時間を大事にしないと、って思うようになりました。

転職するする詐欺
トレード以外の収入源見つけるといいつつ放置
体調管理をちゃんとするといいつつご飯食べなかったり、夜更かししたり

先延ばしにしたり放置してることちゃんとやろう。
働けなくなったら、手術になったら、死んだら…
って悪くなった時のことばっかり考えてお金を稼いでました。

楽しいことにもお金使えるように考え方も変えないと。
ちゃんと生きないと。

人生楽しんでるかと聞かれたら、どっちとも言えない。

楽しんでるって言えるようになりたい。

四十九日が終わり一区切りついたけど、いつまで親に隠しておくのかという問題もあり。その話になっても『やっぱり言えないよね…』三人ともこれしか言えなかった。

今後の状況を見て考えようということで終わりました。

あのことは本当にあった出来事なのか。
今でもよく思います。
そろそろ受け止めないとな。
受け止められないから口に出して言えなかった。

今回文章にすることで自分の気持ちが整理されました。
自分なりに過ぎていく時間を大事にしていきたいと思います。

まとまりのない文章の上、長文になってしまいました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

ここまでがnoteに書いたことです。

追記

note書いて二か月経ったかな。

姉は土日にたまに来ます。メンタル弱い人やから心配したけど仕事が激務なことであんまり考えずに済んでるし、疲れてるから寝れる、って言ってました。

わたしはなんていうのかな、本当にあった出来事のような気がしなくて、県外の学校にでも行ってるような感覚。姉が来た時にはお供物のお菓子やジュースを買って渡しています。

でも、姉の家にお線香をあげに行くことは出来ない。甥っ子が亡くなった場所やから…

あっちの世界でどうしてるのかな、これどんな亡くなり方でも身内なら考えることですよね?わたしも考えます。

生々しいことだったのであの時にはnoteに書けなかったことがあります。

お通夜の時に、お経を聞いてたら急に何かを叩きながら大きな声になる場面がありました。下向いてたから見えなかった。その声が地の底から聞こえるような声ですごい怖かった。

お通夜のあと部屋に戻るとみんなそのことを言ってました。あれなんだったのかな、異様な声で怖かったね、って。

下の姉が、『あの時にね、それまでずっとあの子の苦しい顔しか思い浮かばなかったのに、笑った顔でお母さん行ってきます、って言うてるのが浮かんだ。そやからあの時にあっちの世界に行ったんやと思う。』って言いました。

翌日の葬儀の日。

部屋に入って棺の中の甥っ子を見て上の姉が、『あれ?目の下のあたりにシミが出てきたね。今までなかったのに。』

『そうなんよね。昨日の夜から出てきたんよ。これお通夜で魂が抜けたからなんやって。会館の人がそう言うてた。』

後で姉が聞くと、みんながお通夜で怖かったって言った場面は身体から魂を抜いてあっちの世界に促す?儀式のようなもの、と言われたそうです。なので、お葬式よりもお通夜の方が大事なんです、とも言われたとか。

芸能人の方が亡くなっていろいろみんな言ってるけど。どれが正解か不正解かなんて分からない。

その人によって価値観が違うから。本人がどういう状況でどういう思いでそういう道を選んだのか本人にしか分からない。

ただ、身内はこういう思いで見送りました。それを知ってもらいたいと思ってここにUPしました。

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