父の一周忌と闘病中の姉のこと

昨日はおとんの命日

はや1年経ったんやなあ

亡くなった日のこと書いてるんかと思ったら書いてなかった。

忘備録として書いておく。

昼間上姉と母が面会に行って

今日は楽そうやった、話もしたし、ってLINEでいうててまだしばらく大丈夫かなって安心してたんよね。

仕事が終わって途中息子を迎えに行き、ご飯食べに行こうかってことになって家に電話したら娘っちはお風呂入ってるっていうから

じゃあテイクアウトにしよ、って中華のお店に向かってた。

そこで軽く渋滞にはまって、じわじわ進むような感じになった時携帯が鳴った。画面見たら父が入院してる病院。

でも、部屋が変わるかもって聞いてたからその連絡かと思った。

まさかね。

無防備に出てしまった。

『少し前から心臓の動きがゆっくりになってきています。ご家族の方こちらへ来れますか?』

電話を切ってすぐに上姉に電話。

家に電話して母にも伝えた。

方向変えて病院に向かう。

いつもなら15分くらいで着くのに混んでたから30分くらいかかった。

ナースステーションでいつも通り体温測って名前書いたりする紙に記入しようとしたら、看護士さんが『それはいいですよ。お部屋にどうぞ。』

すぐ前にある個室に入った。誰もいない。

父が寝てた。

でもすぐになんとなくわかった。間に合わなかったんや、って。

寝てる感じの目のつぶり方じゃなくて、固くつぶってる感じ。

息子『じいちゃんは生きとる?ねえおかーさん。』

少し開いた口元に手を持っていった。息してない。

え?え?ってなってたら顔見知りの看護士さんが入ってきた。

『もう?』って聞いたら

『はい。モニター付けてたので心拍数が下がったというアラームが鳴って駆けつけた時にはほぼ心臓が止まってる状態でした。』

苦しまずにゆっくり心臓が止まったみたい。

心臓マッサージや人工呼吸器などの延命措置はしないって伝えてあったのでそのまま静かに逝ったんやな。

でも、先生や看護士さんに囲まれてまだ生きてる、そこに家族が駆けつけてみんなで見守りながら息を引き取る

この光景を想像してた。

あっけない最期。

ひとりで死なせてしまったな。

死亡診断書のことやお風呂に入れて綺麗にしてくれる、とか葬儀社のこととかいろいろ話があった。

息子とふたりで呆然としてたと思う。

近づいて顔を見た。おでこに触ってみたらあったかかった。

『じーちゃんまだあったかいよ。触ってみ。』

息子もおでこや手を触ったりしてた。

『じーちゃん死んだけど思ったより頑張ったよね。』

父は息子をめちゃくちゃ可愛がってた。

近くの山の公園まで遊びに行ったり、幼稚園バスのお迎えは父の仕事やったし

どこにでも連れて行ってた。

しばらくしたら上姉が姪っ子と母と娘を連れてきた。

『え?亡くなってる?』

『うん。間に合わなかったよ。まだあったかいから触ってみて』

みんなでおでこや頬や手を触ってた。

姪っ子と娘がめっちゃ泣き出す。そこでわたしも崩壊。

うちの娘ってそんな泣く子じゃないんやけどびびるほど泣いてた。ずっと一緒に住んでたし遊んでもらってたしいて当たり前の存在やったもんな。

あと3日くらいと言われて2週間くらいは頑張ったかな。

覚悟はできてたけどなんか不意をつかれたというか。

そこからはお風呂に入れるって連れて行かれて、30分ほどで帰ってきた。

その間に葬儀社に電話。親戚にも電話。

下姉に何故か連絡付かず(昼間会議があってミュートにしたままだったらしい)

綺麗にしてもらって死亡診断書と葬儀社のお迎えを待ってた。

触ってもだんだん冷たくなっていく。

死亡診断書を受け取って見てみると、死亡時刻はわたしに電話があった数分前やった。

心拍数下がるアラートが鳴る看護士さんと先生駆けつける家族に連絡するように指示このくらいのタイミングやったんかな。指示された看護士さんが連絡先探したりしてる間に、みたいな。

どんだけ急いでも間に合わなかったんや。

葬儀社の人が迎えにきた。

白衣着てた。不思議やったけど病院やから目立たないようにそうしてるんやな、なるほどー、とか考えてた。

看護士さんに案内されてある扉を開けるとエレベーターが1基だけあった。たぶん亡くなった人を外に運び出すためのエレベーター。

1階に着くと誰にも会わない通路を通って外に出た。先生、看護士さん数名が見送ってくれた。

これが1年前。

毎日遺影を見てるけどまだ生きてるような感覚がある。

今日は命日やからお供物がいっぱい。手を合わせてお願いした。下の姉のことをね。

下姉については過去の記事を読んでください。

1ヶ月前に

『早ければあと1ヶ月、頑張れても年越しは難しい。』と余命宣告された。

抗がん剤が効いてない。癌がお腹に散らばって腹水が溜まり始めてる。

この時点で3リットルくらいは溜まってると言われた。

東京にいる姪っ子に早く会わせてあげた方がいいと。

姪っ子に連絡して先生に言われたことを話したら仕事の都合をつけて10月末に帰ってきた。

そのタイミングで退院。

入院中に訪問診療やホスピスの手配もした。

しばらくは自宅で在宅医療を受けつつ姪っ子と過ごして、その後ふたりでわが家に来てわたし達も一緒にお世話をする。動けなくなったらホスピスに入院して最期を迎える。

姉は余命については知らない。

ただ『腹水が溜まるってことは命が厳しい、月単位で考えないといけなくなる』とだけ言われてる。

先週診察に付き添った。

内服薬の抗がん剤飲んでたけど中止すると。つまり治療は終了。

本当はもう止めててもいい感じやったけど、前回先生が、

『効果がないっていうのはほぼそうなんやけど、本人が抗がん剤続けたいって希望があるので止めるのはかわいそうだからね。少しの期待も込めて。』って。

でもやっぱり副作用で食事ができない問題が大きくなってきたから

『生活の質が下がるから、中止して好きなものをおいしく食べる方がいいと思うよ。食べた方が今の状態でいられる時間が長いかもしれないし。』

姉は無表情で聞いてたけど覚悟はしてた感じだった。

診察が終わった後姉は処置室に。

わたしと姪っ子がまた診察室に呼ばれた。

『腹水がさらに増えてます。やっぱり後1ヶ月くらいかな。会わせたい人がいれば会わせてあげてください。で、そのうち食べられなくなるから栄養とかは置いといて食べたいというものを食べさせてあげて。』

2回目の余命宣告…

胸水も溜まってるってことで、ここからは呼吸が苦しくなったり尿が出にくくなったり、便が出にくくなったり、そのうち食べられなくなる時が来ると。腹水怖い。

あとどのくらい時間があるんやろな。

退院後は週に3回は姉んちに通ってる。

2回目の余命宣告後、数日したらお腹の右側が膨らんできた。その翌日には左足が浮腫んできた。次は手も浮腫んできた。おしっこが12回しか出なくなった。便も浣腸しないと出ない。

日に日に悪くなってきてる。

週に1回来てくれる看護士さん。足湯とマッサージまでしてくれるんやって。

それに毎日電話をくれるらしい。

ケアマネさんも電動ベットの手配や介護申請ですごく親身になって動いてくれた。

こんな人の役に立てる仕事があったんやな、って感謝しかないな。こういうやりがいのある仕事に就きたかった。今更やけど。

余命宣告されてからずーっと自分だけ別世界にいる感覚で変な感じ。

甥っ子が亡くなって父も亡くなって次は姉。生きてる今のこの時間って大事なんよ。

父の時みたいに後悔したくないしひとりで死なせたくないから、なにができるのか考えてる。

今はおいしいものを食べてほしいからいろんな食べ物を運んでる。

昨日は焼き芋買って行った。次は何持って行こうかな。

最近眠りが浅いし、ざわざわが続いててたぶん鬱ゾーンのきわきわにいる。

メンタル保つのに必死。最期までしっかり向き合いたい。

今日はちょっと早い子供の誕生会を元ダンナと4人でした。すき焼き食べに行った。いつも焼肉なのでテンション高い子供たち。

それを見てうれしい気持ちになりつつ姉のことが常に頭にあって。今日はまだLINEがきてなかったから心配やったしな。

姪っ子に聞いてみようかと思ってたら、うちに帰ってしばらくした頃にLINEがきた。

お腹や背中が痛くて寝れない。息苦しさもある。って。今週はどんな1週間になるんかな。来週の日曜日にうちに来るからそれまで何事もありませんように。

昨日帰る時に玄関先まで出てきてくれてバイバイした。その時によく顔見たら頰がこけてて黒ずんでる感じがした。抗がん剤の副作用かな。

これが最後にならんよな?って思いながら帰った。

クリスマスケーキもおせちも一緒に食べたい。

 

先月からずっと日記みたいにつらつら起こった出来事や思ったことなんかをここに書いてた。6記事分くらいになってしまってる。

なんとなく残しておこうと思って。

今は非公開にしてるけどそのうち限定公開にするかも。