こういう話ツイートするのはあんま良くないかな、と思って閉店しかけてるブログに書いてみます。
先日ちょっとツイートしたけど、父が1週間前に救急車で入院しました。
闘病中のことについては、他の記事に書いてるので読んでみてください。
ざっくりいうと、心臓病と血液の病気で通院中。血液の病気は白血病か骨髄の悪性の病気で軽い抗がん剤と輸血で延命してるという状況。
完治はできないと言われてました。
それでも2年弱、薬の副作用で腎臓の数値が悪いのと貧血になれば輸血するという感じで足腰が弱ってきてること以外には悪化してるということもなく自宅で過ごしてた。
突然容態悪化
今回の始まりは食欲不振から。
『今日ほとんど食べてないんよね。』と母から聞いたのが10月末の火曜日。
水曜日の早朝、母が起こしにきて、
『お父さんが吐いてる。ちょっと来て!!』
慌てて降りると、ベッドでぐったりしてた。肩のあたりが汚れていたので吐きそうになっても起きれなかったんやなっていうのが分かった。
体温と血圧を測る、異常なし。
会話もできる。
『お腹が痛い。💩が出るー。』って言ったけど自力で起きれない。
仕方なくオムツにしてもらった→下痢開始。
病院に連れて行こうにも動けない。
救急車呼んでいいのか、嘔吐と下痢で?
姉と結構悩んだ。
吐いたらスッキリしたのか、しばらくするとよく話しもするし顔色も良くなったので様子を見ることにした。
ただ果物やゼリーは少しだけ食べるけど下痢は続いてた。
土曜日。朝起きてから様子見に行ったけどあんま話もしない。しんどいと言う。
父は前にも書いてるけど病院は嫌い。
病院というか入院が嫌いが正解かな。
家で死にたいといつも言ってたし、入院中荷物まとめて帰ろうとした前科もある(これにより入院での検査と治療は断念)
往診してもらえる病院探しもしてたけど、この時はもうこれが限界な気がしたので下姉にも来てもらって救急車を呼んだ。
血液検査、CT、心電図など検査した結果、いろいろ悪いところはあるけど1番は腎臓が悪くなってた。
元々血液の病気の薬の副作用で数値は悪かったけど(正常80くらい父は50台)21とかになってて腎不全起こしてると言われた。
原因は下痢による脱水。あと腸炎と軽い肺炎も有り。
入院して点滴することになった。やっぱこれ以上様子見しなくてよかった…
その日の救急病院が心臓診てもらってた病院だったので、いつもの先生が担当になってくれた。
コロナの関係で面会は禁止なので、次の日に着替えや書類をナースステーションに持って行った時に看護士さんと話したら、
『点滴2回自分で抜きました…』
点滴して落ち着いたら現実に戻ったというか、気がついてみれば入院してたことにパニックになったのか。
火曜日、仕事してたら先生から電話があり、
『食事も全然食べないし、ずっとぐったりして寝てる感じなんですが、また点滴を抜いてしまいました。3回目なので点滴はこれで中止にします…明日お話したいんですが来院できますか?』
点滴止めたらどうなるん。なんで点滴抜くん…
翌日上姉と病院へ。
先生の話は。
腎臓の数値が12まで下がってること→このままでは尿が出なくなって亡くなってしまう
ご飯を食べるようになったってこと→え??
あと、数値的には腎臓が機能しなくなって尿毒症の症状が心配。
いつ急変してもおかしくない状態なので、そうなった時に心臓マッサージや人工呼吸器装着などの延命措置を希望するのか、自然にするのか、そこを教えてください、と。この話がメインだったみたい。
これは父が前から延命しなくていい。管に繋がれて寝たきりで生きるとかイヤ、っていつも言ってたので、そう伝えました。
透析治療の説明もしてくれたけど、父は血液の病気、心臓、と合併症が多く全身状態が悪いので、まず透析するための手術にリスクがあり過ぎると言われた。
ご飯を食べるようになったのであとは本人の生命力…
父に会えると思ってなかったけど、車椅子に乗せて連れて来るから会って帰ってください、と言われた。
話を聞きながら涙ポロポロ、いや滝のように出てたので慌ててハンカチで拭いた。
先生は、席を外すので終わったら呼んでください、って。まじでいい先生。
車椅子に乗ってきた父は、わたしたちを見て、『ああ、ふたりが来とるんか』と言った。
『お父さんよく分かったね。』
『分かるよ。目はよう見えるんや。』って。
もう長くないって遠回しに言われたけど、ほんとにそうなん?って思った。
10分ほど話して帰った。これが水曜日。
姉と別れて車を運転して帰りながらめっちゃ泣いた。
子供のことすごい可愛がってくれて、赤ちゃんの時からよく面倒見てくれた。
公園に連れて行ったり、幼稚園バスのお迎えもおじいちゃんの仕事だった。
散歩にも連れ回したw
息子っちのちっちゃいリュックにお菓子とおむつを入れて公園に行ってたこと。
プラレールを次々に買って部屋いっぱいに線路繋げて何台も電車走らせて遊んでたこと。
そういうことばっか思い出して涙が止まらなかった。
自分が遊んでもらったことは全く記憶にないのに。
母には詳しいことは言わなかった。実は介護疲れでちょっと鬱気味になってたので。
ソワソワする毎日。携帯が手放せない。夜中も何回も起きて着信がないか見てしまう。
もちろんトレードする気にもならない。
アルトの現物は友達に情報もらったりしてたので、チャートも見たりして買ってた。これは気が紛れてほんと良かった。
そして金曜日。
また仕事中に先生から電話。
『腎臓の数値が6.7にまで下がりました。もうあまり時間がないかもしれません。食事は取ってくれてます。なのでもう1回点滴をやってみようと思います。土日に急変することがあるかもしれないので連絡は取れるようにお願いします。』
メンタル死亡。目が腫れて仕事にならないので上司に連絡して早退。好きだったりんごジュース持って病院へ行きました。もし点滴ダメでもジュースくらいは飲んでくれ〜
看護士さんに渡して帰った。この時も言われる。『何かあれば連絡しますのでよろしくお願いします。』
『…』急変警戒レベル最大患者なんやな、って感じた。
自分で点滴抜くのなんで⁉️って思うけど、これってせん妄って症状らしい。
意識が朦朧としてる状態の時にパニックになる?
何年か前に胃の手術した時もあったやつ。本人は覚えてなかった。
面会禁止。これコロナ対策で仕方ないとしてもこういう場面では辛いよね。
個室に移れば人数、時間の制限はあるけど面会できるらしい。
個室希望したけど術後の人と重症者が入ってるとかで空いてなかった。
容体が悪化すれば個室に移す、とは言われたけど。
土日会えなくても様子聞きに行こう…
と思ってたら
昨日、土曜日の朝。寝てたら携帯が鳴った。病院や!!
看護士さんが
『30分ほど前に痙攣発作を起こしました。退院する方がいるので空いたら個室に移します。担当医が午後出勤してくるのでその時にお話したいと言われてます。来てもらえますか?』
母、姉×2、姪っ子、娘っちとで向かった。
先生はほんとは休日なのに出てきてたみたい。
『痙攣発作を起こした時にいた先生に状況も聞いてます。注射で発作は治って今は落ち着いています。痙攣は尿毒症によるものだと思われます。』
わたしが理解したことだけいうと
尿は老廃物などを外に出す役割、それが出来なくなると毒素が脳の方にまで回って神経症状が出る。
『時間は思ったより少ないかもしれません…』
『食事は4割くらい食べれてます。誤嚥のリスクもあるけど本人が食べる意思がある限り最後まで普通のことをしてほしい。普通に食事も食べてもらいたいと思ってます。それは大丈夫ですか?』
この先生、数年前にインフルエンザで意識がなくなって他の病院に救急車で運ばれた時。
インフルエンザと分かると意識が朦朧としてるのに車椅子に乗せて連れて帰ってと言われた事件。(医者や看護士、他の患者に感染させると病院が潰れるから、と院長に言われた💢)
この時に心臓でかかってたからとダメ元で電話すると
『うちで引き受けますので連れてきてください』と言ってくれた先生。
最後にこの病院で診てもらえて良かった。
話が終わり、ひとりずつ10分程度で、と言われて順番に父のところに行った。
わたしは娘っちと入ったけど、小刻みに震えてて目も焦点が合わない感じ。
ぶつぶつ聞こえないくらいの声で何か言ってた。
大きな声で話し掛けるとこっち向いて、
『○(娘っちの名前)と来たよ。分かる?』
というと、
『○か。分かるよ。』って。
でもずっと目は開けてられなくてすぐに閉じた。
数日前の車椅子に乗ってきて話した時とは全く違ってた。
娘っちがマスク外してじいちゃんー、って言うと目を開けてた。
『また来るからご飯食べて元気になってよー。』って手を握って病室を出た。
あかん泣いてしまう。我慢せな。
初孫でもある姪っ子はめっちゃ可愛がられてたんやけど、久しぶりに会ったおじいちゃんの変わりようがショックだったみたいで目が真っ赤だった。
最後に母が入った。
『お父さん、はよ治して家に帰っておいでよ。』っていうと泣いてたって。
家に帰りたいんよなあ。
家で死にたい言うてたもんなあ。
ほんとに辛かった。
早く個室に入ってくれー、自由に面会したいー、って思ってたけど、現実見るときつかった。
帰りに看護士さんに『家族の顔見たらちょっと興奮してるみたいなんでよろしくお願いします。』と言うと、『分かりました。』って。
エレベーター待ってる時に病室の方を振り返ってみたら、父の病室に看護士さんが入って行くのが見えた。
ちゃんと見てくれてる、安心した。
先生と看護士さんには感謝しかない。
明日また血液検査の結果が出るので午後聞きに行くことになってる。
父にも会ってくる。
残りの時間が少ないなら会いたい。でも正直会うたびに弱っていくの見るの辛いんよ。
最期に立ち合いたい気持ちと、その瞬間を見たくない気持ちもある。
今まで何回ももうダメかなって覚悟することがあったから、もう心の準備はできてると思ったけど全然やった。
点滴は足から入れてた。ずっと点滴してるって言うてた。
それで数値が回復してお家に帰れる可能性がゼロではないですよ、とは言ってくれた。奇跡に近いやろけど。
痛いところがないのが救いかな。
いろいろ考えて寝れない。
なのでこれ書いてる。
わたしは遅くに生まれた子供なので親と過ごす時間が短かった。
いつも何かしらの病気してる感じで遊んだ記憶もほとんどない。
いろんな事情があって親子関係は希薄やった。
親がいなくなっても割と平気なんじゃ?って薄情なこと思ってたけど、そんなことなかったよね…
後悔することもいっぱい。
親孝行。できることはできる時に、思いついた時にやってあげた方がいいよ。
今度、そのうち…これ絶対やらない。
あー、眠たいのに寝れない。
携帯が鳴るのがこわい。
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ここまで書いて寝落ち。何事もなく朝になってた。午後から病院に行ってきます。